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2024/04/29 (Mon) 16:33
Posted by REAL.Kawamoto
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 ああ、本当に、追いかけられたことが幸せで仕方がない。
 そして、追い続けられるということが幸せで仕方がない。

 2月14日のライヒス・リッター式典から始まり、7月10日のアーデル・リッター式典をもってついにその全式典がフィナーレを迎えた、第14帝國物語。
 最初はチケ取りに敗退しまくり、本当に悔しくて夜も眠れない日が続いたのですが、それから色々な幸いが重なり、気がつけば、6月15日のカイザー・リッターを除きほぼ全ての式典に参加していました。各日の感想はまた追々するとして、今回は一先ず、全式典を終えた感想を綴ってみたいと思います。


 さて、この「元帥がやってくるYar!Yar!Yar!」は、偶然にもわたしが初めて生で見た、第14帝國の式典の演目の再演(と言っていいのかわからないのですが、他に適切な言葉が見つかりませんのでとりあえずこう記します)です。記録を見ますと2001年7月、今から丁度9年前の模様。
 わたしは、この「Vol.22」としての「元帥がやってくるYar!Yar!Yar!」で第14帝國にどっぷりと持って行かれ、楠本柊生帝國元帥が帝國を離れたと同時に臣民を抜けたタイプの臣民です。楠本柊生帝國元帥が描いた、この、ライヒス・リッター、カイザー・リッター、アーデル・リッターだからこそ、再び第14帝國に向かおうという気になったタイプの臣民です。ですので、今の形の第14帝國も好きな方には傲慢にも不快にも映る感想となっているかもしれませんが、ご容赦頂けますと幸いです。


 この「元帥がやってくるYar!Yar!Yar!」が演目として選ばれたと知ったとき、わたしは静かに震えました。わたしがその告知に受けた色んな衝撃の中でも殊更鮮やかに主張していたのは、この式典のタイトルだったのは確かです。
 ねえ、だって、再演、なんだよ。
 再演なのに、なんていう符丁なんだと、震えたのです。
 『確かに』、「元帥がやってくる」。
 一瞬、タイトルを借りただけの別式典でないかと疑ったのは正直な話。インタビューを読むまでは信じていなかったかもしれない。


 初日のライヒス・リッターの冒頭、何度も書き換えられながら姿を現し続けた第14帝國の年表が記憶にある形と明らかな違いを見せたとき、わたしは、嗚呼、『本当に』歴史が書き換わった、と、鳥肌が立ちました。
 「元帥がやってくるYar!Yar!Yar!」はラスト、回想で、帝國で起きた一つの戦いを示しますが、この戦い、原典ではやや、歴史に合わない戦いになっていたと記憶します。元々「元帥がやってくるYar!Yar!Yar!」は式典が回を重ねるに従い完全に別のストーリーになってしまった式典のため、その辺りはまあしょうがないかな、と思っていたのですが、今回は新たに創られた世界の中で、一つの意味のある戦いとして描かれる。10年前。帝國1000年に起きた一つの哀しい戦いのお話。

 ……とそれっぽく書いてみたのですが、告白します。実はわたし、カイザー・リッター楽日が終わるまで、今回新しく定義された年表をきちんと解釈しておりませんでした! この仮説を明らかにしようと望んだオーラス、アーデル・リッターの冒頭では峰村大佐が年表をなくした(笑)ため、全く年表を読み上げないという……峰村大佐、貴官のせいで……!

 ただ、その再定義された歴史の中で創られた、新しいライヒス・リッターの「元帥がやってくるYar!Yar!Yar!」という物語は、わたしの記憶にあるままの、懐かしく愛おしい、ライヒス・リッターでした。
 細かく言うなら、多分、吾妻中佐の仮面教は原典では加納中佐がやっていたのではなかったかな。そして腹話術が吉川大佐……ごほごほ、いや、星野中佐だったような気がする。(関係ないですが、かつての星野中佐ファンにとってアーデル・リッターはどう映ったのだろうかという思いが今ちらっと過ぎりました。またライヒス・リッターで星野中佐が登場することはあるのでしょうか?)
 まあそれは限りなく些細なことで。うわあ、還って来た、帰って来た、という思いが強すぎて、そこに「元帥がやってくるYar!Yar!Yar!」という式典タイトルが重なり、思い切り泣いてしまいました。


 続くカイザー・リッターは、とにかく衝撃を受けました。限りなく原典に忠実でありながら、決して重ならない物語。
 こういう言い方をすると良くないのかもしれませんが、元はと言えば、ライヒス・リッターへの当て書きであった式典の筈なわけです。それなのに、それをここまで忠実になぞりながら、かつ各人の魅力を最大限に引き出した、全く別の式典が出来る。ぞくりとしました。
 だって、あの「AllRight!」もやっちゃうのよ! なるほど、居たねネイティブ! と、千秋中尉が飛び出してきて思い出した。
 決定的に違うのが大将の位置づけで、初回の千葉繁大将の存在が舞台をものすごく引き締めていたのが印象的です。そうか、教官か! 立花大将と大意は同じ台詞でありながら、その持つ意味合いと発せられた意図が違うというのが、ライヒス・リッターと決定的に歴史を分けた瞬間だったと思います、地味な部分ながら。

 ただ、ここでアーデル・リッターへも不安が残ったのが、今回の主役(と呼んでいいのかわかりませんが、わたしはこの式典の主役はこの位置のリッターだと思ってます)の上矢大佐の存在感でした。
 この式典は、最初にも上げたとおり式典内容がぐるっと変わったもので、ラストでは主役の大佐がリチャードに完全に食われてしまう構成を取っています。わたしにとっては春木大佐は春木大佐としてその背景にある色んな物・歴史を読み取れる存在なのでライヒス・リッターでは全く感じなかったのですが、『限りなく無口』という個性の上矢大佐はわたしにとって初めてのリッターであり、またその個性による押しの弱さも相俟って、完全にリチャードに食われてしまっているように見えてしまいました。
 (誤解のないようにしたいのですが、これは上矢大佐が悪いとかそういう話ではなく、物語の構成上、また、カイザー・リッターが限りなく原典に忠実に描かれながら初めての存在であった関係上、仕方がないことだったと思っています。また、この印象を持ったのは初回だけで、6月に3daysで行われた式典ではそういうことは感じませんでした。リッターを知れた、からかもしれません。)
 一方、源氏中将のリチャードは驚くほど原典に忠実でそのはまり具合にびっくりしました。げんしじんなのに……(なんだ、なのにって。)


 そして、アーデル・リッター。最初から思いっきり崩しにかかり、こちらがびっくりしていると、意外ときっちりお約束は守る。国歌と称してバンド演奏が始まったときはうお、と思いましたが(思わず、「国歌~国歌~ちゃんとしたー国歌~」と始まるのかと思った。←それはライヒスだろう)、その後のバンドアレンジのオンブラッタ、鳥肌立つほどかっこよかった、びっくりした。
 アーデル・リッターは何というか、恐ろしいほどの舞台の楽しみっぷり、まるで原典をいかにパロディ出来るか? に挑戦しているかのような印象を受けました。カイザー・リッターを見ての杞憂も何のその、主役の峰村大佐の破壊力がまたすさまじい。すさまじ過ぎて、同じ大佐である吉川大佐と引き比べてどーのこーのという理由付けが、むしろ全くいらない(笑)仮面のおかげでまともになったんならいいじゃない、と思ってしまうくらいですが、まともなのは峰村大佐じゃない! という法が、アーデル・リッターの境地を指し示しているもののような気がします。
 ただ、そうやってしっちゃかめっちゃかとお祭り騒ぎしてるように見えて、けれどこの、原典のライヒス・リッターともそれをなぞりながら違う世界を描くカイザー・リッターとも違う、各リッターの立ち位置が、恐ろしく興味を引くところでもあるのでした。
 例えば、小泉大将と柊生元帥の関係。3つの世界の大将の中で、唯一、全く違う台詞を吐いたのが小泉大将。銃を突きつけられれば迷わず命乞いをし、「撃たない、俺にはわかる」なんて言わない。民間人を切り捨てろと言いながら、それが出来ない元帥を止めるために自分が死ぬことを仄めかす。そもそも民間人を切り捨てろと言ったのは、これ以上『仲間の死』を見たくないからだという意図があからさまに見えて、その『身内の死』に対する強烈なこだわりとそこに明らかに見える弱さが、非常に興味深いものであります。
 あと、非常に細かい部分なのですが、リチャードが、素晴らしくリチャードでした。というか、原典を無視して、「リチャード」という役を見るのであれば、誰より一番はまっていたのは、天野鳶丸中将だったと思います。天野中将のリチャードは、こう言うのもおかしいですが、何より限りなくリチャードでした。
 10年前、楠本柊生と出会い、夢を共にした民間人。楠本柊生に撃たれてその命を終えることになり、そこで10年待ってろと言い残す。このディテールに、誰よりもはまったのが、天野中将だったと思います。
 柊生を元帥にしたのは自分だ、とリチャードが言って峰村大佐に取り入ろうとするシーンがありますが、これ、「柊生を元帥にしたのは自分だ」ということにリチャードが言及しているのは、アーデル・リッターでだけだと記憶しています。小さな台詞ですが、これが震えます。リチャードの立場でその台詞を言うということ、それはリチャードの、色んな感情が見えませんか。そしてそれが、天野中将の演じたリチャードだということに、何か納得させられたのです。

 

 それぞれ2回(カイザー・リッターは3回予定を2回半…)ずつ見させて頂きましたが、2回目は何というか、ライヒス・リッターもカイザー・リッターもアーデル・リッターも、1回目と同じことなんかしてやるもんか! というような心意気を感じました(笑)見れば見るほど面白くて、素晴らしかったです。

 カイザー・リッターの楽日、柊生元帥が、ライヒス、カイザー、アーデルそれぞれの違いを示すために解りやすい方法として、同じ演目の式典をやってみた、と、仰っていました。

 そして、ここから先は、パラレルで三又の道。

 この式典を土台の歴史として、それぞれが違う歴史を刻んでいく。いずれ、各世界の年表は違う年表となるのでしょう。それは――なんて、なんて広い帝國になるということなのか。

 ライヒス・リッターの次の式典は、完全新作。
 カイザー・リッターの次の式典は、「元帥の中日×巨人戦」。これは原典がライヒス・リッターVol.23で、「元帥がやってくるYar!Yar!Yar!」がVol.22だったことを考えると、また限りなく忠実すぎてにやりとする。
 アーデル・リッターの次の式典は、「仁義なき元帥」。これも原典がある様子ですが、わたしはピンとこなかったので、解りません。でもこれがライヒス・リッター・ステージ~あの衝撃をもう一度~なら、すごすぎると思う。アーデルでこれを描くのか! と思うと思う。

 全ては皇帝陛下の夢である第14帝國で、3つのリッターが生まれたこと。そして、それぞれが紡ぎ続けるということ。
 どうか、どうかこの夢が、可能な限り続きますように。

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